趣味とは何か

小生3つ目の記事となるが、趣味について考えていこうと思う。

趣味といえば、史跡めぐりと読書に尽きる。史跡めぐりはたしか小生が小学3年生の時から行っているものである。きっかけは松本城に行ったことであった。あの急な階段を恐れおののきながらも、親族に助けられながらも上った天守閣にて心の晴れた感覚は今でも忘れない。その時、当時の先人(石川数正)はここで何を思ったのかと考えると胸が躍らざるを得なかったのだ。

ここから小生の史跡巡りに花が咲いたのである。とは言っても初めは、戦国時代にまつわるものしか興味がなかった。なぜなら、兄から教わった歴史ゲームに当時はテレビを齧るほど熱中していたからだ。今思うと、あれほどの熱中したことは後述するゲーム以来といえよう。現在は、高校生時代に行った浜松は北にある井伊地区にある龍潭寺の庭園を見て以来、閑寂かつ吉美なものに喜びを感じるようになったために、どんなものでも関心を持つようになった。

さて、歴史に関心のない方にとっては退屈する話だったに違いない。

決して歴史しか能のない人間ではないことを証明するならば、大の音楽ゲーム好きであることだろう。

今となってはそれほど認知させることは少ないが、小学1年生から音楽ゲームに携わっている。なぜそれを公言しないかは恥ずかしきことかな、歴史>音楽ゲームとなっているからである。

はて、世間一般で見たら歴史の方が趣味としては恥ずかしいことなのだろうか。それは小生にはわからないが、なぜかこの時分、音楽ゲーム好きであることは細々にしか言えないのである。

これも心理的発達を伴ったのかそれとも、娯楽性の何もないつまらない男になったのか、難しいものである。

夢とは何だろうか

人は何を思い、夢を獲得しようとするのだろうか。夢を人が追い求めると「儚」なんて言うが、それは本当なのだろうか。仮に本当だとすると、先人は冷たいものである。かつてベーコンが説いた合理主義が当時の中国にあったのかもしれない。そう思うと胸が熱くなるものである

さて、夢を追求するあまりに、無残に人生の幕を下ろしてしまう人も居るというが、小生の夢は教え導くことにあると思う。

このような理屈まがいなものに教えを乞うものは居らんかもしれんが、あくまでもブログ内の人格といえよう。本来の小生は、このような思考に至る前に行動に移るような人格であり、ましてや小生などと己のことを語ることはあるまい。ましてや、自らのことを語る前に他のことを聞くことが楽しくて仕様がない。それがゆえに、自分事を話すのをそもそも得意とはしていない。

だからこそ、この場で言い方を変えてでも自らのことを表出しているのである。なかなかに奇妙なものであると思いつつも、面白いと思い書いているのだ。

さて教え導くことが夢であるとは言ったものの、それはやれ教員だ塾講師だというものだけに留まらない。要は、人と人とを結ぶ仲介者となりたいのが本心である。人に教えることに固着しすぎる人格が現実にはいるものの、本来はその心が真の人格ではないかと思うようになったが、はて本当の人格とはいったい何なのだろうか。

自己にある人格それぞれに夢があるとするならば多義的解釈となり非常に興味深い者にはなるが、これ以上は煩雑になりかねないから筆をおくこととしよう。

自分の恋愛遍歴

最初の記事が小生の恋愛遍歴という変わったブログにします。

さて、恋愛といえば一方的なものではなく相互の思いがあって初めて成就するものでありますが、私の恋愛は果たして相互的なものであったのかどうかは聊か不安であります。

最初の恋煩いは、小生が幼稚園の時。幼稚園といえば、ピアジェのいう自己中心性のある前操作期にある時。そんな時に私は一人の女子に恋を寄せた。果たして、これは恋なのか。それとも友人である絆を求めていたのかは定かではない。ただ、一途にその人のことを想っていたのだ。たしかに、あちらもよく小生を誘って二人で遊んだではないか。これは最初の定義にある相互の思いがあったからこそ恋愛成就といえるのではないだろうか。

そこから小生は小学4年生になり、再びその思いが強くなった。さらには、その9年後、違うものからアプローチを受けるようになった。不思議なことである。自分から好いた人でないと小生は心から向けないのである。

となると、次に恋愛をするのは自らが恋募らせた時となる。はて、次になるのはいつの時となろうか・・・。

出会いはそこらに落ちているものというが、それは自ら拾わない限りは稀なことが起こらない限り、自らの手に舞い降りてはこない。そろそろ動く時が来たのかもしれない。