夢とは何だろうか

人は何を思い、夢を獲得しようとするのだろうか。夢を人が追い求めると「儚」なんて言うが、それは本当なのだろうか。仮に本当だとすると、先人は冷たいものである。かつてベーコンが説いた合理主義が当時の中国にあったのかもしれない。そう思うと胸が熱くなるものである

さて、夢を追求するあまりに、無残に人生の幕を下ろしてしまう人も居るというが、小生の夢は教え導くことにあると思う。

このような理屈まがいなものに教えを乞うものは居らんかもしれんが、あくまでもブログ内の人格といえよう。本来の小生は、このような思考に至る前に行動に移るような人格であり、ましてや小生などと己のことを語ることはあるまい。ましてや、自らのことを語る前に他のことを聞くことが楽しくて仕様がない。それがゆえに、自分事を話すのをそもそも得意とはしていない。

だからこそ、この場で言い方を変えてでも自らのことを表出しているのである。なかなかに奇妙なものであると思いつつも、面白いと思い書いているのだ。

さて教え導くことが夢であるとは言ったものの、それはやれ教員だ塾講師だというものだけに留まらない。要は、人と人とを結ぶ仲介者となりたいのが本心である。人に教えることに固着しすぎる人格が現実にはいるものの、本来はその心が真の人格ではないかと思うようになったが、はて本当の人格とはいったい何なのだろうか。

自己にある人格それぞれに夢があるとするならば多義的解釈となり非常に興味深い者にはなるが、これ以上は煩雑になりかねないから筆をおくこととしよう。